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 ヴィクトール・フランクルという心理学者は、アウシュビッツの強制収容所を体験しました。代表作として「夜と霧」という作品があります。
    彼の著書『それでも人生に「イエス」という』の中にこんなようなことが書かれています。
   「強制収容所という極限状態で、人生に絶望するか、それでも人生に何らかの価値を見つけ出すかは、  『自分にとって生きることは何の価値があるか』 と考えるか、あるいは  『自分が人生から何かを問われている(託されている)』 と考えるかにかかっていた。  ある女性は  「自分には愛する子供がいる。そのこのために自分はどうしても生きなければならない。これこそが、人生が自分に託したことだ。」 と考え、ある男性は  「自分には仕上げなければならない論文がある。それこそが、人生が私に課した問いだ。」 と考えた。  二人とも、あるいはそれを果たしえずに、2〜3日で死んでいった。しかし確実に二人とも死の一瞬まで充実した生を生き切った。」
   つまり、自分の計り方で、自分の役に立つ限りにおいて人生を考えるとき、人は絶望に至りかねません。  でも、人生が自分に何かの意味を課している、と考えるとき、そこに人生を高らかに肯定する力が湧いてくるのだと、私は思っています。
   以上、長野法人会女性部で、「女性としての生き方〜輝いて生きるために〜」の講演内容の一部です。 |   
05:06, Friday, Jun 19, 2009 ¦ 固定リンク
  
 
 
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