2024年12月31日
メンドーサでの時間が始まった。寝不足も解消されて、気持ちのいい朝を迎えることができた。ゆっくりと朝食を取った後に、メンドーサの街に出かけた。
メンドーサでは、アルゼンチンペソが中心でカードは使えないところが多いという前情報であったが、カードはほとんどの店で使えることが分かった。ただタクシーは現金のみ。昨日、バスターミナルで120ドルをアルゼンチンペソに両替したら99,000ペソだった。
持ち帰っても仕方ないので、なるべく現金で支払うようにしたが、カードのほうが楽だわ。
まずはロレト大聖堂教会を目指して歩いていく。サルミエント広場に面したところにある教会だ。
ロレト大聖堂教会
教会の扉が閉ざされていて中に入れない。入り口に掲示してあったメモを読んでいたら、中から女性が出てきて話しかけられた。明日の新年ミサのための準備に来ていた方だろう。日本から来たと言ったら、特別に中に入れてくれた。
静謐な礼拝堂で、礼拝堂の周りは宗教画で飾られていた。
礼拝堂
祭壇は明日のミサを待っている。
入り口の案内にあったように、明日のミサが11:00からであることを確認して、今日はここを立ち去る必要があった。帰るのを待っていてくれたから。
新年礼拝はこの教会にする予定。
短かったが礼拝堂での時間を過ごした後に、教会前のサルミエント広場を散歩。サルミエント広場は、メンドーサをほぼ完全に破壊した大地震の後19 世紀半ばに造られた。
アルゼンチンの元大統領ドミンゴ ファウスティーノ サルミエント の記念碑
この広場は、アルゼンチンの元大統領ドミンゴ ファウスティーノ サルミエントにちなんで名付けられたとあった。設置されている記念碑は、雄弁家のポーズで描かれ、背中には巨大なコンドルが彼を守っている。
記念碑の正面には噴水が。
街中にはこうした花売りの店があちらこちらに出ている。
サンマルティン将軍広場にやってきた。メンドーサの中心部にあり、スペインとの間に起きた独立戦争においてアルゼンチンを主導する役割を果たしたサン マルティン将軍の記念碑がある。馬に乗り、人差し指を西の地平線に向けていて、アンデス山脈を越えた姿とのこと。
「解放者」としても知られるサン マルティンのブロンズ像。
サンマルティン将軍広場の北西の角にはサンフランシスコ修道院がある。ここも固く扉が閉まっていた。今夜の19:00からミサがあるので、その時に来れば中に入れる。
サンフランシスコ修道院
サンフランシスコ修道院の南には銀行があった。もちろん苦労ずしていたが、銀行には見えない建物だ。
メンドーサはバス路線が充実している。本数も多く、バス停も分かりやすく、観光客も利用しやすいと思う。今回は、市内はすべて歩きで通すけれど。
バス停とバス。
バス路線はしっかりしているが、自家用車も多く走っている。チリと同じで、自動車優先がこの地域の特徴。信号が赤でも、車が来なければ歩行者は道を平気で渡るが、車は、歩行者を待つことはしない。
次に行ったのが独立広場。
「自由、その匿名の功績」というフリーズが描かれた水が踊る噴水
この広場の面積は55,000平方メートルを超えているそうだ。気持ちがよく、木陰では涼しく時間が過ごせる。家族連れも多くいた。
時間があったので、独立広場から西のほうへ歩いて行った。サンマルティン公園があるのだ。
約2キロ歩いてサンマルティン公園の入り口。入り口には門があった。
ヴァセナ門
サンマルティン公園は非常に広い。自由気ままに歩いていくのがいい。
木がたくさん植わっていて、木陰に入ると涼しくて昼寝をしたくなる。そのような家族も多かった。
そこへやってきたのはアイスクリーム屋さん。思わず引き付けられ、棒アイスを買った。2本で3000ペソ。日本円にして470円。このアイスは、自分が子供のころによく買ったアイスと同じぐらいの大きさ。つまり小さいということ。
この公園にはベンチがなく、みんな草の上に寝ころんでいた。
公園の中にもこんな道があって、車用の道路もある。
公園からホテルに戻る途中に見つけた法科大学。
イエズス会教会があった。ここは毎日ミサをやっているようだが、教会の入り口にホームレスが寝ていた。黒い犬と一緒だった。
イエズス会教会
今日もよく歩いた。メンドーサの街はだいたい把握できた。ホテルの部屋に戻ったらサプライズ。NEW YEAR を迎えるお祝いを共有するんだ。素晴らしい。
そしてホテルのロビーでは新年を迎える喜びのイベント。シャンパンがふるまわれた。