福江島1月3日のコース

ホテルの部屋から見える島々が気になって観光協会に聞きに行った。観光協会の職員は島の名前が分からなくて、よく知っている人を紹介してもらった。「なんで島の名前を知りたいのか?」と聞かれ「興味があるから」と答えたが、どういう意味の質問だったんだろう?
海外でのインフォメーションセンターでは、いろんな質問をしても分からない?ということはなかったけれどね。
島の名前を教えてくれた方も、中心の奥の島は分からないそうだ。ここで生活していて気にならないのかな?日常に溶け込んでいるからいいのかも。

昨日は時計回りに島を半周したが、今日は反時計回りに島を半周する予定。
まずは浦頭教会へ。
浦頭教会。

この教会はノアの箱舟をモチーフに造られている。
下五島司教区の中心的な教会として1888年に献堂され、1968年に迫害100年を記念して、この場所に移築された。

ここもコロナ関係で開放されていなかった。
外から中をのぞいて・・。

更に北上して、堂崎教会を目指す。教会手前20mぐらいから所領通行止めで、「歩いていきましょう」看板が。駐車場の真前は海。田ノ浦瀬戸という。
正面に浮かぶ小島が目立つ。

明治6年にキリシタン禁教令が廃止されて最初のクリスマスが祝われたところが堂崎である。後にそれを記念して、ここに堂崎教会が建てられた。
ゆっくり歩いて堂崎教会へ。ここも開放されていなかった。

19歳で殉教した五島ジョアン。日本26聖人の一人で西坂の丘で十字架に着けられて殉教。

ドミニコ中村長八神父ゆかりのイヌカキの木

ドミニコ中村長八神父は、日本最初のカトリック派遣教師としてブラジルに渡航し生涯をささげた。ブラジル出発直前に、生誕の地である浦頭のイヌカキの木を移植した子孫が大木となったものとのこと。
ここでも椿がきれいに咲いていた。

教会から少し坂を登ったところにマリア像。ロザリオのサンタマリア。

堂崎教会からの奈留島

教会から離れ島まで陸続きのようであるので、歩けるところまで歩いた。この島は海抜22メートル。

福江島は紅葉の季節?

土岐大橋を渡って土岐地域へ。
ここには宮原教会がある。最初にこの地方に赴任したマルマン神父を継いで2代目神父となったペリュー神父が多くの人々に洗礼を授けた教会。
宮原教会は民家を思わせるシンプルなたたずまい。

やっと聖堂に入れた。その清浄な息吹に触れて感動。

土岐地方から半泊地域へ北上。
半泊教会を目指すが、これまた不安になる道を進んでいく。突然目の前に海が現れ教会が。この海は半泊湾。
本土からやってきた隠れキリシタンたちがここに入植したが、土地が狭いため半数を残して他の人々は三井楽方面に向かった。半数の人たちがとどまったから半泊と呼ばれた。
半泊教会

聖堂に入ることができた!

天井も青を使っている。アイルランドの空の色。

アイルランドからの浄財を受けて作ったアイルエランド風のステンドグラス。
青の色は、アイルランドの青空、ガリラヤ湖の青空、サビエルが日本に向かって出発した海の上に広がる青空を表している。

この土地の石工が強風から教会を守るために造った石垣。

半泊湾からの島々

アウトドア派の私としては絶対に外せないドンドン淵。
権現岳(380m)の麓にあり水量は豊富とあったので行ってみた。
ドンドン淵とは、太鼓をたたくような音が響くところから命名。いや~ほんとにドンドンと音がするんだわ。
ドンドン淵

ドンドン淵から西の岐宿地域へ。ここには楠原教会がある。
楠原教会は、宣教師の資金援助を受けながら老若男女が力を合わせて建築に励んだ教会である。
赤煉瓦を積み上げたゴシック式の楠原教会

ここも入れなかった。

窓越しからの礼拝堂。

ファティマの聖母マリアと羊飼い

シスターが生活する修道院付属の水ノ浦教会。被昇天の聖母に捧げられた教会。
水ノ浦教会

白亜の建物が美しい。

被昇天のマリア像

この教会内にも入れなかった。しかし十字架の道行きがあり、その道行きをゆっくりと歩くことができてよかった。

教会巡りの最後は打折地区の打折教会。複雑な道を入っていった。
打折教会は海辺に佇んでいる。
打折教会

打折教会前の港

次に魚ヶ崎公園に向かう。遣唐使船が最後に寄泊したとされる場所である。
沈む夕日がきれいらしいが、時間的に早かった。

最後に鬼岳へ。一気に南下していく。
鬼岳。福江島のシンボルとなっているらしい。

鬼岳に登頂した。今年の初登山!

鬼岳山頂から福江の街。

きれいに夕日が沈んでいく。
