桟敷山~小桟敷山

 4日前に南アルプスに入山したばかりなので、どこか簡単に行ける山はないかと・・・それでいてルーファイしながら登れる山を探した結果、桟敷山を見つけた。
 一般登山道は三角点が設置されているピークを通っていない。ならば三角点を踏まなくちゃ。こういうのが面白いんだよね。

 

2021年5月8日 ルート図

 

気持ちのいい登山道を登って行く。

 

桟敷山が見えてきた。

 

スタートしてから約40分で桟敷山山頂。向こうには四阿山が見える。

 

四阿山(左)とその右に草津白根山。

 

桟敷山山頂からは、三角点を目指して登山道のないルートを進む。

 

「点名・桟敷山」でいつもの儀式。

 

「点名・桟敷山」から小桟敷山とその後ろに西篭ノ登山。

 

「点名・桟敷山」から小桟敷山を目指す。まずは鞍部まで250m下り、鞍部から直に小桟敷山を目指すことにした。鞍部からはシャクナゲの激藪。

 

振り返れば桟敷山。

 

小桟敷山に到着。広々とした気持ちのいい空間。

 

小桟敷山の空。

 

西篭ノ登山。

 

下山途中に歩いたところを確認。左の桟敷山から鞍部に下った。

 

鞍部から右の小桟敷山に直登した。

 

ショウジョウバカマが咲いていた。

 

今日歩いた全景。

丸山(2223.9m・南アルプス)

 長野県伊那市の三峰川に取り囲まれた山々が気になっていた。
 仙丈ヶ岳から西に伸びる地蔵尾根。その地蔵尾根上の地蔵岳と仙丈ヶ岳の中間にある丸山谷ノ頭から南に伸びている尾根上にある丸山、小瀬戸山、風巻峠の山々だ。もちろん南川金一氏は登頂済み。
 南川氏の著書「山頂渉猟」や「続・山頂渉猟」を参考に、今回は丸山(2223.6m)を目指した。登山道はない。三峰川林道も杉島で通行止めで、杉島スタート地点からテン場とする丸山谷の二俣まで約7キロの林道歩きから始まる。重い荷物を背負っているので2時間ぐらいはかかるだろう。
 覚悟してスタート。延々と続く林道歩きには、意外な発見があった。フタリシズカの群生があったり、何よりこれから目指す丸山とその後ろには、雪でまっしな仙丈ヶ岳の姿が嬉しかった。予定通り2時間弱で二俣に到着。北沢と南沢の出合いである。南川氏もこの辺りにテントを張っている。荷物をそのままにしてすぐに丸山に向かうこととする。
 南川氏は北沢を詰め途中から尾根に通り継いでいるが、そのコースは下山路にたどることにして、南沢を少し入ったところから尾根に取り付いた。岩からしみだしている水がたくさん流れ落ちているところで、地元の人たちは水くみに来るそうだ。
 急斜面を登り上げ尾根に乗っかった。途中小瀬戸山が見えた。標高1853mまで快適に登って行く。1853mピークでは、木々の間から地蔵岳が見えた。地蔵岳に登った時のことを思い出す。いつもの儀式をして先に進む。2000mを越すあたりから雪が出てきた。昨夜に降った雪だろう。間もなく2107m地点に到着。ここから先しばらくは混んだシラビソが続くが、雪が乗った露岩が出てきて慎重に登って行く。持参したチェーンアイゼンは使用しなかった。
 テン場から約4時間で丸山山頂に到着した。山頂に立ったら急に青空が広がり、太陽の登頂記念祝い?シラビソに囲まれた中に三角点はあった。点名・陥破山。
 下山路は2107mピークから北沢目指して一気に下った。この日の夜、満天の星の下で、今年初のテント時間を楽しんだ。

 

2021年5月3日~5月4日 ルート図

 

三峰林道から丸山とその後ろに仙丈ヶ岳が見えた。

 

アオダモがたくさん咲いている。

 

小瀬戸山が見える。

 

小瀬戸山と丸山へ続く稜線。丸山は左方面で陰になって見えない。

 

丸山谷の南沢に入る。岩から水が落ちているところから取り付いた。

 

小瀬戸山が見える。

 

1680mの空。ここから東に伸びている尾根を1853mピーク目指して登って行く。

 

1853mピークに到着。ここから地蔵岳が見えた。

 

1853mピークでいつもの儀式。ここから尾根は北東に向かっている。

 

標高2000mを越えると雪が出てきた。

 

2107mピークに到着。下山路はここから西尾根を下る予定。いつもの儀式。

 

混んだシラビソの中を行く。やがて雪のついた露岩が出てきた。

 

スタートしてから約4時間で丸山に到着。いつもの儀式。

 

三角点。

 

丸山山頂で青空が広がった。

 

2107mまで戻り、そこから西尾根を北沢目指して下る。途中地蔵岳がよく見えた。

 

ヒトリシズカが咲いていた。

 

北沢沿いの林道に出た。ここまでくれば二俣はすぐそこだ。

 

16:00頃テン場に到着。二俣から登り4時間、下り3時間の行程だった。テン場からの空。

 

1日の行程を思い出しながら・・。

 

月が出た。真っ暗になると満天の星。

 

翌日は戻るだけ。ヤマブキがたくさん咲いていた。

 

フタリシズカが群生していた。

 

ヒトリシズカ

 

登った丸山。今度は小瀬戸山に!

一平沢~ツバクラ山~御座山~弥次ノ平~石仏~茶屋ノ平

 少し前から長野県と群馬県境の尾根を歩き通したいと思い、地図とにらめっこ。ショナミの頭と御座山をどう繋げるかがを検討。今回は、沢を利用して御座山まで。御座山の避難小屋で一泊して翌日は弥次ノ平からぐるっと周回して茶屋ノ平から下山するルートを計画した。
 奥栗生に続く林道を利用して、南川金一氏は弥次ノ平に登っている。南川氏からは、今回利用する一平沢の1キロ先にゲートがあると聞いていたが、一平沢の200mぐらい手前にゲートが設置されていた。
 6:45に出発。すぐに一平沢が現れ沢に入っていくと一平沢。この沢の高巻きが核心だったかも。一平沢は水量は少ないが、5つの滝がありすべて直登は無理。地図上の水線が消えるところからは傾斜もなだらかになり、御座山の一般道には約5時間で到着した。
 ここからツバクラ山を目指す。人の歩いた気配がなくツバクラ山頂直下は岩稜で楽しい。2つ目のピークがツバクラ山山頂であった。木々の間から御座山が見え、山頂に立つ登山者の姿がよく見えた。
 ツバクラ山から1時間弱で御座山の山頂。素晴らしい景色が広がっていた。御座山山頂から北西陵へ。岩稜が続くルートが面白い。北西陵ノ頭の最先端まで足を延ばしてみた。
 一夜を過ごす避難小屋は快適。深夜鹿の書き声が何度も聞こえた。
 2日目の朝は御来光でスタート。朝焼けの八ヶ岳がきれいだ。
 6:20ごろに小屋を出発し、まずは弥次ノ平を目指す。広い尾根で分かりづらい。尾根を外さずに進んで行くと2000mピークを過ぎたあたりで大きな岩稜に突き当たり、ここでルーファイミス。1時間ぐらい行ったり来たりして岩稜に乗り上げたはいいけれど、岩稜の先端が切れていて先に進めない。仕方ないから引き返し仕切り直し。よくよく見たら岩稜の左側にいい巻道があった。
 ふ~。こんなで弥次ノ平には4時間かかった。弥次ノ平は樹林の中で広い平坦地になっている。南川氏が見つけた弥次ノ平のプレートは分からなかった。南東端の1980mピークまで行ってみると石柱が設置されていた。ここが最高点。
 さあ~石仏に向おう。
 1791mピークまでは倒木が多く乗越すのも一苦労。ガンガン進んで行くとやがて開けた平坦地に設置されている三角点があった、石仏の山頂に到着したのだ。点名・会所。朝スタートしてから6時間であった。山頂からはショナミの頭から大蛇倉山の稜線が見えた。今度歩く予定のルートだ。
 ゆっくりとビールタイム。ほぼ目的を達成した満足感。後は茶屋ノ平経由で、できればずみ岩のピークを踏んで下山。
 ずみ岩へは、地図に現れていない岩稜が続き途中で断念してしまった。
 2日間かけて歩いたルートを見て、満足満足でした。

 

2021年4月24日~25日 ルート図

 

一平沢に入渓。水量は少ない。

 

C1、一平の滝。左を高巻くが、ここが核心部であった。

 

ハシリドコロ

 

ハシリドコロの花の中

 

コガネネコメノソウ

 

C2。これも巻く。

 

C3。次から次へと滝が現れるが、登れない。

 

ジロボウエンゴサク

 

ガンガン登っていったらコバイケイソウの群生地

 

一平沢の空。

 

C4。またまた巻いていく。

 

C5。滝はこれで終わった。

 

鹿の角が落ちていた。

 

御座山に続く登山道に出たのでツバクラ山へ向かう。ツバクラ山へは人が歩いた形跡が全くなく気分がいい。栗生峠に通じる尾根を進んで行く。途中から御座山北西陵が見えた。

 

御座山。山頂に人がたっているのが見えたので、「お~い」と声を張り上げたら、手を振りながら「お~い」と答えてくれたわ。

 

露岩を乗り越えてツバクラ山山頂へ。

 

ツバクラ山山頂から約1時間で御座山避難小屋に到着。きれいな小屋だ。

 

小屋に荷物を置いて御座山山頂へ。誰もいない。

 

御座山山頂から、今登ってきたツバクラ山を見て嬉しくなる。右のピークがツバクラ山。後ろには八ヶ岳。

 

東方面には両神山。

 

北方面には浅間山が遠くに見える。

 

南アルプスも。北岳が光っている。

 

見慣れた山々も見る場所によって違う。山が特定できて、これがまた嬉しいんだな。

 

御座山北西陵の頭。あの頭まで行ってみる。

 

北西陵ノ頭に立った。

 

御座山北西陵ノ頭から御座山を見上げる。

 

御座山山頂で岩遊びを楽しんでいたら夕暮れが。夕日が沈んでいく。

 

素晴らしいシルエット。

 

月が出ていた。初日はこれでお終い。

 

25日の朝。間もなく御来光。

 

八ヶ岳が朝日に赤くなってきた。

 

南アルプスも。手前は男山。

 

避難小屋を6:15に出発した。まずは2000mピークを目指していくが、広い尾根でなかなか分かりずらい。忠実に尾根をたどっていくと2000mピークに到着した。いつもの儀式。

 

少し先に開かれた場所があり、あ~見えた!正面に天狗山その後ろに北岳と甲斐駒ヶ岳。

 

この先でルーファイミス。激藪を進んだり、戻って露岩に登り上げたりしたが、結局行き詰まり途中まで戻った。ここが今日の核心部。

 

巻道を発見したらすごく簡単に1974mピークまで歩いてしまった。1.5時間のロス。1974mピークでいつもの儀式。

 

すぐに弥次ノ平に到着。南川氏は「弥次ノ平」のプレートを見つけたらしいが分からない。南東端の1980mピークまで行ってみる。そこには石柱がたっていた。

 

いつもの儀式。

 

弥次ノ平から石仏に向かう。セリバオウレンを見っけ。

 

1971mピークまでは倒木地帯。

 

見えてきた石仏。

 

藪はほとんどなく簡単に石仏に到着した。「点名・会所」

 

いつもの儀式。

 

石仏からの眺望。

 

茶屋ノ平を目指して進んで行く。振り返ると石仏。

 

下には南相木ダムとダムを囲む山々。

 

ガンガン進んで行くと今日歩いてきた弥次ノ平が見えた。

 

1760mピークを登りその先の鞍部から沢筋で下山にかかる。途中ひっそり咲いているヒメイチゲを見つけた。

飯縄山

 ちょこっと時間が空いたので今日は飯綱山。
 私にとっての飯綱山は、修行の山。いつも大体1:20前後で山頂へ到着するので、体力の限界に挑戦しているから修行だ。
 天気が悪く、あまり登山者はいないだろうと思いきや結構入山していた。
 天狗の硯岩あたりから雪がうっすらと積もっていた。中社からのルートとの合流地点からは結構な雪が降り出した。稜線に出てから山頂までは残雪がかなりあったが、ツボ足で大丈夫。何パーティーか追い越し約1:26で到着した山頂には誰もいなかった。今日は眺望なし。
 すぐに下山開始して、往復2:20の修行は終了した。

 

2021年4月18日 ルート図

 

天狗の硯岩あたりからうっすらと雪。

 

雪が降ってきた。

 

山頂に続く鞍部はまだ雪がたくさん。

 

1:26で山頂に到着。

 

飯縄山の空。

朝日岳北尾根・2218mピーク~兜岩(奥秩父)

 川上村の山に通うようになって意識しだした兜岩。川端下からは、長須ノ頭のように見え登ってみたい衝動にかられた。前回は、兜岩東峰の頭で断念。切り立った岩に先に進むことができなかった。
 じゃあ別ルートで、ということで、今度は兜岩と2218mピークがつながる鞍部を目指し、兜岩と2218Pに立つルートで行ってみることにした。
 川上牧丘林道を車で。前回よりもさらに奥まで入れた。駐車場所から歩いて20分ぐらいで朝日岳旧登山道入り口に着く。ここから見える兜岩と2218mピークは、いつも私を呼んでいる。今日はリベンジなるか!はやる気持ちと高鳴りでワクワク感一杯。
 大雉沢を渡渉し、大雉沢左岸に入り込む沢と尾根を攻めていくことにした。地図で何度も確認し、その沢伝いが目指す鞍部につながっているルートをガンガン登って行く。
 P2218の南東には大きなピナクルがある。ピナクルの基部を回り込み沢地形を登り詰めると、そこは目指す鞍部であった。スタートから約2.5時間。前回のことを思うと、割と簡単についてしまった。
 まずはP2218に行ってみることにした。わずかな登りでP2218に立つことができた。素晴らしい眺望である。正面には立派な兜岩の姿が見え、これだけでも感動。P2218は東の方へせり出し、露岩が素晴らしい造形をなしている。そこまで行ってみなくちゃ!ここまで来ると岩遊び。登れるところは登り岩稜群を楽しんだ。
 さあ本番はこれから。いよいよ兜岩を目指す。P2218から見る兜岩までのルート上にも岩稜群が見える。どうやって攻略していくか?
 鞍部に戻り、南の尾根を忠実に登って行く。1ヶ所だけ岩を西側から巻いた。やがて見えてきた兜岩。西から兜岩と対面。兜岩を南側に回り込んでクライミングシューズに履き替えた。とりつきが核心部。フリーで登り上げるとあとは割と簡単に兜岩の肩まで登り上げることができた。これ以上は無理。長須ノ頭のような兜岩の屋根の下に立ち、満足感をしばし味わった。
 ここまで来た人はおそらくいないだろう。何の痕跡もないのがいい。自己満足で時間がゆっくりと過ぎていく。
 登りたいと思っていた点名・西股を確認し、その三角点はいつかね・・・ということで、兜岩から沢地形を利用して一気に下った。
 満足、満足。

 

2021年4月11日 ルート図

 

朝日岳旧登山道に入るとP2218と兜岩が出現。待ってらっしゃい!

 

P2218。ピークの左手前のピナクルをどう攻略するか!

 

大雉沢を渡渉して、大雉沢左岸から流れ込む沢。上を見上げると目指す鞍部が見える。右がP2218とピナクル、左が兜岩。

 

素晴らしい天気です。

 

P2218のピナクルが見えてきた。この左基部を回り込んでいくことに。

 

ピナクルから続く岩稜。

 

P2218と兜岩の鞍部に到着した。いつもの儀式。

 

鞍部から簡単にP2218に。P2218に立つ。

 

P2218からは素晴らしい兜岩の姿が。

 

兜岩。待ってらっしゃい!

 

小川山が大きい。

 

すでに登った山々も。素晴らしい眺望だ。

 

P2218の東にせり出した岩稜群。岩遊びて楽しむ。

 

岩稜の一番左がP2218。奥には瑞牆山。さらにその奥は南アルプス。

 

P2218から鞍部に戻り兜岩を目指す途中、大きなつららがあった。

 

兜岩岩稜帯に入った。振り返ると登ってきたP2218が立派。

 

手前は烏帽子岩岩稜帯。

 

すぐそこに兜岩。これは北西からの姿。

 

兜岩。西側から回り込んでいく。

 

南西側からの兜岩。

 

兜岩の周りには露岩がたくさん。

 

左が兜岩。あの基部までクライミングシューズに履き替えてクライミング。

 

岩に乗り上げて兜岩を見上げた。

 

クライミングはここで終了。兜岩の屋根の下に立つ。

 

クライミングスタート地点でのいつもの儀式。

 

点名・西股を確認して下山に取り掛かる。

 

下山途中に確認した兜岩東峰の岩稜。ここは登れない。

 

下山の沢筋はこんな感じ。

平和公園と浦上天主堂

 長崎最終日。今日は13:35のフライトで羽田へ戻る予定。それまでの時間を長崎平和公園と浦上天主堂へ行くことにした。
 傘をさすほどではないが雨が・・・。
 雨でしっとりとした平和公園に込められた思いが伝わってくる。

 

恒久平和を祈る平和記念像

 

 平和記念像の上に延びる右手は原爆の脅威を、水平の左手は世界平和を表し、閉じた瞼は、犠牲者の冥福を祈っているそうだ。

 

原爆殉難者の碑

 

平和の泉。この泉の正面奥に平和記念像が。

 

 平和公園から歩いて5分ぐらいのところに原爆落下中心地がある。長崎中心地が一瞬にして焼け野原になった場所で、被災した浦上天主堂の遺壁の一部が残されている。

 

被爆当時の地層が発見され保存されていた。

 

 平和公園から歩いて10分ぐらいのところにある浦上天主堂。浦上の信者たちが1895年から30年かけて完成させた。原爆によって全壊。
 現在の建物は、1959年に再建されたものだという。

 

浦上天主堂

 

今日はイースター。偶然にもミサに出席することができた。

 

原爆で焼け落ちた像と浦上天主堂

 

 長崎に来てたくさんの教会を回ったが、最後に礼拝に出席できたことは嬉しかった。
 これで長崎はお終い。
 長崎空港から羽田経由で長野へ戻る予定。

 

長崎空港のラウンジから。

外海

 佐世保で朝を迎えた。そして今日は遠藤周作の「沈黙」の舞台となった外海を回る。

 

2021年4月3日 ルート図

 

 佐世保では早朝に三浦町教会堂に寄った。
 昭和6年に建てられ、1945年の佐世保大空襲にも負けず、奇跡的に生き残った佐世保のシンボルとも言える三浦町教会堂である。

 

佐世保駅前の小高い丘の上に聳え立ち、そのゴシック建築の美しさが素晴らしい。

 

教会堂横のルルドでは手をあわせる聖母マリアとベルナデッタの像があり、「コロナ禍での見守りのための祈り」が捧げられていた。

 

 佐世保からハウステンボスを通り抜け、西彼杆半島へ。西海市から見た角力灘に浮かぶ島々に、何か楽しくなる。

 

松島(右)と池島だろう。

 

 外海地区に入った。まずは大野教会堂へ。大野教会堂は、明治26年に26戸の信徒を基として建てられた。

 

大野教会堂へは、この石階段を登っていく。

 

やがて見えてきた教会。

 

大野教会堂はロザリオの教会で、それを象徴してマリア像が教会を見守っている。

 

ド・ロ神父が建てた教会で、自然石を積み重ねた「ド・ロ壁」という石組が今でも健在である。

 

潜伏キリシタンの象徴である椿の花が咲いていた。

 

教会からの角力灘。

 

 大野教会堂では、毎年10月第1日曜日だけの年1回のミサが行われているという。この教会に連なる信徒は8所帯。深い祈りに満ちた教会であった。
 次に出津教会堂へ。小高い山の斜面に建てられている。

 

出津教会堂

 

 出津教会堂の近くには、ド・ロ神父が困窮を極める村人たちを救うために設立した明治初期の授産施設がある。旧出津救助院で、特に女性自立支援のための作業所として建てられた。

 

授産場。救助院の中心的建物で2階建。1階の作業場。

 

1階の作業場に展示されていたド・ロ神父の日々の帳。ここには地元の人が話す発音に即した日本語のローマ字書きで金銭の出し入れを日記形式で記録されている。

 

 そうめんの作り帳もあった。その日の気温や湿度によって最適な量の水や小麦の量などを克明に記入してある。
 救助院の2階は、ここで働く女性たちが寝起きし、また主に仕立てをする仕事場として使われていた。
 フランスから取り寄せた時計は、15分ごとに鐘が鳴り、そのたびに女性たちは祈りを捧げていた。

 

現在の2階の様子。左の時計は今も時を刻んでいる。

 

ド・ロ神父のオルガンを、シスターが演奏してくれた。

 

出津文化村のド・ロ神父記念館前のド・ロ神父像

 

角力灘が見えるところにあった遠藤周作の「沈黙」の碑。

 

そして遠藤周作文学館へ足を運んだ。文学館の眼前には外海に自然が。

 

文学館に併設されている「アンシャンテ」は思索空間。

 

「アンシャンテは空と海と自分に出会う場所」というコンセプト。

 

アンシャンテの中から東シナ海である角力灘がよく見える。

 

 遠藤周作が初めてここに来た時に、この外海の広大な海を見ながら「神様が僕のためにとっておいてくれた場所だ」と喜んだ夕日がとても美しい場所。
 「人生とは何か」を考える場所でもあるとのこと。
 そして次に向かうのは、遠藤周作の小説『沈黙』の舞台ともなった黒崎の地に建つ黒崎教会。1897年にド・ロ神父の指導で敷地が造成され1920年に完成している。

 

レンガ造りの黒崎教会

 

礼拝堂

 

 神ノ島教会堂に向かう。
 神ノ島は、1960年代に海面埋め立てで九州本土と繋がるまでは、直径1kmほどの離島で、禁教時代にキリシタンが潜伏した島だったらしい。(ビックリ)
 禁教令が解かれた後の1876年にブレル神父により仮の聖堂が建ち、 1881年にラゲ神父によって木造の聖堂が建てられた。その後1897年に、デュラン神父が私財を投じて現在の煉瓦造りの教会堂を建てた歴史がある。

 

神ノ島教会堂は長崎湾を見下ろす高台に建っている。

 

神ノ島教会堂

 

礼拝堂

 

 教会下の小さな岬に建っている「岬の聖母像」が航海する船の安全を見守っている。

 

岬の聖母像。左後ろには神ノ島教会堂が見える。

 

 充実した1日だった。
 ド・ロ神父のことがよくわかり、遠藤周作文学館においてあった「ド・ロ神父と出津の女性たち」の本を手に取りたくなった。
 出津はこれでお終い。

平戸

 長崎県2日目は平戸のキリシタン関連遺産を訪ねた。長崎市から車で1:50ぐらいで平戸。

2021年4月2日 ルート図

 長崎は片道3車線道路もあって、運転が難しい。でも高速を利用して何とか田平天主堂に。
 この教会は事前予約が必要で、今はコロナの関係で礼拝堂には入れなかった。

 

田平天主堂

 

田平天主堂にあるルルド。

 

平戸口教会堂は白亜の建物。

 

平戸口教会堂の礼拝堂

 

 宝亀教会堂へ。1898年マタラ宣教師のもと、五島列島宇久島出身の・柄本庄市によって建てられた。

 

宝亀教会堂

 

礼拝堂

 

教会敷地からは港が見える。

 

次は紐差教会。1929年鉄川与助によって高台に建てられた。

 

教会敷地にはファティマの聖母がいた。

 

さらに南下して木ヶ津教会。古い木造教会がひっそりと建っていた。

 

 木ヶ津から北西の春日集落を目指す。
 春日集落は、潜伏キリシタンが仏教や神道と合同した独自の宗教形態を造って、それを信仰し生活していたところ。そのようなキリシタンの形態をカクレキリシタンと呼ぶ。
 春日集落を見下ろす丸尾山はキリシタン墓地遺跡がある。丸尾山まで歩いてみた。

 

丸尾山

 

丸尾山の祠。キリシタンの墓地遺構。

 

春日集落の棚田が美しい。

 

 潜伏キリシタンとカクレキリシタンの違いをもっと知りたくて、博物館島の館まで車を走らせる。島の館は生月島にある。生月大橋を渡って島の館。

 

島の館の前には大きなイルカ。

 

 島の館で学芸員に聞いた話。
 バテレン追放令で神父を失った信徒たちは、迫害の中で自分たちで信仰を守っていかなければならないという思いが強く、前任の神父の言いつけを頑なに守っていた。そのため彼らはカトリックの教えをそのままに守って迫害時代を生き抜き、明治以後日本に再び来たカトリック教会へと戻っていった。
 このような集団を潜伏キリシタンという。
 それに対して、神父もともに潜伏し続けていたキリシタンたちは、神父が迫害下でも生き延びられるようにと教理の方を少しずつ寛容に修正していった。そのため教理の中に周囲で行われていた仏教や神道の習俗が混交し、本来のカトリックとは違った土着の信仰様式を見せるようになっていった。
 彼らは、明治以後再びカトリック教会が日本に許された後も、自分たちの信仰形態を守り、既成のカトリック教会には交わろうとはせず今日に至るまで独自の信仰様式を守っている。
 彼らを総称してカクレキリシタンと呼ぶ。

 島の館の次に山田教会。ここでは十字架の道行きの礼拝が行われており、中に入れなかった。教会の外から十字架の道行きの思いを馳せた。

 

山田教会

 

山田教会のすぐそばには菜の花が一面に咲いていた。

 

 フランシスコ・ザビエルがやってきて、キリスト教を伝えたときに布教を許した代官の一族の一人である西玄可の洗礼名がガスパル。ガスパル様は禁教令が出ても自分の信仰を守り通して領民をまもり処刑された。

 

黒瀬の辻殉教地。十字架が建っている。

 

ここからは中江ノ島がよく見えた。

 

 中江ノ島は、平戸の信者にとって岩から染み出す水を採取し、盛衰とする「お水取り」を行う大切な場所となっている。しかし今では「お水取り」はすたれてしまった。

 

今日の最後は、平戸ザビエル記念教会堂へ。

 

 平戸ザビエル記念教会堂は、フランシスコ・ザビエルの3度の平戸訪問を記念して1931年に建てられた教会。

 

教会敷地内にあるフランシスコ・ザビエル像。

 

これで平戸はお終い。平戸から佐世保へ。
佐世保の夜がきれいに見えた。

長崎

 朝8:15のフライトで長崎へ。今回の旅もキリシタン殉教の地を求めてが目的である。

 

2021年4月1日 ルート図

 

 飛行時間2時間であっという間に長崎空港。
 レンタカーでまずは茂木港へ向かった。あらかじめ調べておいた茂木のおいしい食事処に行くためだ。茂木港で上がった魚のコチを活造りで食べた。

 

コチの活造り

 

 身がしっかりしていて甘くおいしい。ここまで来た甲斐があったというもの。
 茂木から長崎市内へ。まずは日本二十六聖人殉教地を訪ねた。西坂公園にあるレリーフは祈りが込められていて胸に迫るものがあった。1597年2月5日、西坂の丘で神を讃え、その福音の教えの心理を証明しながら、十字架上に聖なる最期を遂げた二十六聖人。

 

二十六聖人の記念碑

 

 12歳で殉教した聖ルドビコ茨木は、役人から「キリシタンをやめれば許してやる。」といわれたのに対し、「神のもとでの永遠の命に比べたら、ぼくの短い命なんて惜しくない。」という答えを堂々と返し、小さな十字架を見つけて「僕の十字架、ぼくの十字架」と喜んで、その十字架を抱きしめ磔となって死んでいった。死んで行くとき、彼は澄んだ声で「パライソ、パライソ、ジェズス、マリア」と叫び続けたという。

 

右から2番目の小さい像が聖ルドビコ茨木

 

 レリーフの隣にある聖フィリッポ教会。二十六聖人が実際に殉教した場所に建てられている。

 

 二つの塔は、高さ16m。左の塔は祈りと賛美の塔、右の塔はお恵みが下がってくる塔で、聖霊のたまものを象徴している。

 

聖フィリッポ教会の礼拝堂

 

祭壇

 

 祭壇の台座。26の十字架が囲むアルファとオメガ。「永遠の神」を示している。26の十字架は、神を礼拝し、賛美し、感謝をささげている。

 

中町教会へ。聖トマス西と15殉教者に捧げられた教会。

 

礼拝堂。
聖トマス西と15殉教者は、ドミニコ会司祭、修道士、修道女、彼らを助けた信徒たちで、キリシタン迫害の1633年~37年に、長崎で殉教した人々。

 

サント・ドミンゴ教会跡。

 

聖コルベ神父記念館

 

大浦天主堂

 

 大浦天主堂は、19世紀の日本の開国に伴って長崎にできた居留地の外国人のために、1864年にフランス人宣教師が建てた教会堂。そして16世紀に長崎で殉教した日本二十六聖人の殉教地の方向に向けて建てられている。
 献堂直後の1865年、長崎近郊の潜伏キリシタンが、ひそかに大浦天主堂を訪れて宣教師に自分たちの信仰を告白した。「信徒発見」と呼ばれ、礼拝堂内のマリア像の下での出来事であった。

 

信徒発見レリーフ

 

旧羅典神学校。1875年に日本人神父養成のために建てられた。

 

旧長崎大司教館。宣教師の居住のための初代司祭館。

 

グラバー園の入り口

 

日本西洋料理発祥の地であり、日本西洋料理の開拓者草野大吉の像があった。

 

グラバー園からは、長崎港が見える。

 

グラバー園にある旧長崎地方裁判所長官舎。

 

大浦教会は、コロナのために入れなかった。

羽田空港

 羽田空港は、今年1月以来だ。前回よりも人が多い。多い人の中の1名が自分でもあるんだけれど・・・ね、
 やっぱり空港はワクワクする。飛行機を見ているだけで、もう旅が始まっている高揚感で一杯になる。前回の旅に引き続き、再びキリシタンを訪ねる旅を少し。長崎と平戸を中心に回る予定。コロナ禍で中に入れない教会が多かった五島列島。今回はどうだろうか・・・。

夜の羽田空港