朝日岳北尾根・2218mピーク~兜岩(奥秩父)

 川上村の山に通うようになって意識しだした兜岩。川端下からは、長須ノ頭のように見え登ってみたい衝動にかられた。前回は、兜岩東峰の頭で断念。切り立った岩に先に進むことができなかった。
 じゃあ別ルートで、ということで、今度は兜岩と2218mピークがつながる鞍部を目指し、兜岩と2218Pに立つルートで行ってみることにした。
 川上牧丘林道を車で。前回よりもさらに奥まで入れた。駐車場所から歩いて20分ぐらいで朝日岳旧登山道入り口に着く。ここから見える兜岩と2218mピークは、いつも私を呼んでいる。今日はリベンジなるか!はやる気持ちと高鳴りでワクワク感一杯。
 大雉沢を渡渉し、大雉沢左岸に入り込む沢と尾根を攻めていくことにした。地図で何度も確認し、その沢伝いが目指す鞍部につながっているルートをガンガン登って行く。
 P2218の南東には大きなピナクルがある。ピナクルの基部を回り込み沢地形を登り詰めると、そこは目指す鞍部であった。スタートから約2.5時間。前回のことを思うと、割と簡単についてしまった。
 まずはP2218に行ってみることにした。わずかな登りでP2218に立つことができた。素晴らしい眺望である。正面には立派な兜岩の姿が見え、これだけでも感動。P2218は東の方へせり出し、露岩が素晴らしい造形をなしている。そこまで行ってみなくちゃ!ここまで来ると岩遊び。登れるところは登り岩稜群を楽しんだ。
 さあ本番はこれから。いよいよ兜岩を目指す。P2218から見る兜岩までのルート上にも岩稜群が見える。どうやって攻略していくか?
 鞍部に戻り、南の尾根を忠実に登って行く。1ヶ所だけ岩を西側から巻いた。やがて見えてきた兜岩。西から兜岩と対面。兜岩を南側に回り込んでクライミングシューズに履き替えた。とりつきが核心部。フリーで登り上げるとあとは割と簡単に兜岩の肩まで登り上げることができた。これ以上は無理。長須ノ頭のような兜岩の屋根の下に立ち、満足感をしばし味わった。
 ここまで来た人はおそらくいないだろう。何の痕跡もないのがいい。自己満足で時間がゆっくりと過ぎていく。
 登りたいと思っていた点名・西股を確認し、その三角点はいつかね・・・ということで、兜岩から沢地形を利用して一気に下った。
 満足、満足。

 

2021年4月11日 ルート図

 

朝日岳旧登山道に入るとP2218と兜岩が出現。待ってらっしゃい!

 

P2218。ピークの左手前のピナクルをどう攻略するか!

 

大雉沢を渡渉して、大雉沢左岸から流れ込む沢。上を見上げると目指す鞍部が見える。右がP2218とピナクル、左が兜岩。

 

素晴らしい天気です。

 

P2218のピナクルが見えてきた。この左基部を回り込んでいくことに。

 

ピナクルから続く岩稜。

 

P2218と兜岩の鞍部に到着した。いつもの儀式。

 

鞍部から簡単にP2218に。P2218に立つ。

 

P2218からは素晴らしい兜岩の姿が。

 

兜岩。待ってらっしゃい!

 

小川山が大きい。

 

すでに登った山々も。素晴らしい眺望だ。

 

P2218の東にせり出した岩稜群。岩遊びて楽しむ。

 

岩稜の一番左がP2218。奥には瑞牆山。さらにその奥は南アルプス。

 

P2218から鞍部に戻り兜岩を目指す途中、大きなつららがあった。

 

兜岩岩稜帯に入った。振り返ると登ってきたP2218が立派。

 

手前は烏帽子岩岩稜帯。

 

すぐそこに兜岩。これは北西からの姿。

 

兜岩。西側から回り込んでいく。

 

南西側からの兜岩。

 

兜岩の周りには露岩がたくさん。

 

左が兜岩。あの基部までクライミングシューズに履き替えてクライミング。

 

岩に乗り上げて兜岩を見上げた。

 

クライミングはここで終了。兜岩の屋根の下に立つ。

 

クライミングスタート地点でのいつもの儀式。

 

点名・西股を確認して下山に取り掛かる。

 

下山途中に確認した兜岩東峰の岩稜。ここは登れない。

 

下山の沢筋はこんな感じ。

平和公園と浦上天主堂

 長崎最終日。今日は13:35のフライトで羽田へ戻る予定。それまでの時間を長崎平和公園と浦上天主堂へ行くことにした。
 傘をさすほどではないが雨が・・・。
 雨でしっとりとした平和公園に込められた思いが伝わってくる。

 

恒久平和を祈る平和記念像

 

 平和記念像の上に延びる右手は原爆の脅威を、水平の左手は世界平和を表し、閉じた瞼は、犠牲者の冥福を祈っているそうだ。

 

原爆殉難者の碑

 

平和の泉。この泉の正面奥に平和記念像が。

 

 平和公園から歩いて5分ぐらいのところに原爆落下中心地がある。長崎中心地が一瞬にして焼け野原になった場所で、被災した浦上天主堂の遺壁の一部が残されている。

 

被爆当時の地層が発見され保存されていた。

 

 平和公園から歩いて10分ぐらいのところにある浦上天主堂。浦上の信者たちが1895年から30年かけて完成させた。原爆によって全壊。
 現在の建物は、1959年に再建されたものだという。

 

浦上天主堂

 

今日はイースター。偶然にもミサに出席することができた。

 

原爆で焼け落ちた像と浦上天主堂

 

 長崎に来てたくさんの教会を回ったが、最後に礼拝に出席できたことは嬉しかった。
 これで長崎はお終い。
 長崎空港から羽田経由で長野へ戻る予定。

 

長崎空港のラウンジから。

外海

 佐世保で朝を迎えた。そして今日は遠藤周作の「沈黙」の舞台となった外海を回る。

 

2021年4月3日 ルート図

 

 佐世保では早朝に三浦町教会堂に寄った。
 昭和6年に建てられ、1945年の佐世保大空襲にも負けず、奇跡的に生き残った佐世保のシンボルとも言える三浦町教会堂である。

 

佐世保駅前の小高い丘の上に聳え立ち、そのゴシック建築の美しさが素晴らしい。

 

教会堂横のルルドでは手をあわせる聖母マリアとベルナデッタの像があり、「コロナ禍での見守りのための祈り」が捧げられていた。

 

 佐世保からハウステンボスを通り抜け、西彼杆半島へ。西海市から見た角力灘に浮かぶ島々に、何か楽しくなる。

 

松島(右)と池島だろう。

 

 外海地区に入った。まずは大野教会堂へ。大野教会堂は、明治26年に26戸の信徒を基として建てられた。

 

大野教会堂へは、この石階段を登っていく。

 

やがて見えてきた教会。

 

大野教会堂はロザリオの教会で、それを象徴してマリア像が教会を見守っている。

 

ド・ロ神父が建てた教会で、自然石を積み重ねた「ド・ロ壁」という石組が今でも健在である。

 

潜伏キリシタンの象徴である椿の花が咲いていた。

 

教会からの角力灘。

 

 大野教会堂では、毎年10月第1日曜日だけの年1回のミサが行われているという。この教会に連なる信徒は8所帯。深い祈りに満ちた教会であった。
 次に出津教会堂へ。小高い山の斜面に建てられている。

 

出津教会堂

 

 出津教会堂の近くには、ド・ロ神父が困窮を極める村人たちを救うために設立した明治初期の授産施設がある。旧出津救助院で、特に女性自立支援のための作業所として建てられた。

 

授産場。救助院の中心的建物で2階建。1階の作業場。

 

1階の作業場に展示されていたド・ロ神父の日々の帳。ここには地元の人が話す発音に即した日本語のローマ字書きで金銭の出し入れを日記形式で記録されている。

 

 そうめんの作り帳もあった。その日の気温や湿度によって最適な量の水や小麦の量などを克明に記入してある。
 救助院の2階は、ここで働く女性たちが寝起きし、また主に仕立てをする仕事場として使われていた。
 フランスから取り寄せた時計は、15分ごとに鐘が鳴り、そのたびに女性たちは祈りを捧げていた。

 

現在の2階の様子。左の時計は今も時を刻んでいる。

 

ド・ロ神父のオルガンを、シスターが演奏してくれた。

 

出津文化村のド・ロ神父記念館前のド・ロ神父像

 

角力灘が見えるところにあった遠藤周作の「沈黙」の碑。

 

そして遠藤周作文学館へ足を運んだ。文学館の眼前には外海に自然が。

 

文学館に併設されている「アンシャンテ」は思索空間。

 

「アンシャンテは空と海と自分に出会う場所」というコンセプト。

 

アンシャンテの中から東シナ海である角力灘がよく見える。

 

 遠藤周作が初めてここに来た時に、この外海の広大な海を見ながら「神様が僕のためにとっておいてくれた場所だ」と喜んだ夕日がとても美しい場所。
 「人生とは何か」を考える場所でもあるとのこと。
 そして次に向かうのは、遠藤周作の小説『沈黙』の舞台ともなった黒崎の地に建つ黒崎教会。1897年にド・ロ神父の指導で敷地が造成され1920年に完成している。

 

レンガ造りの黒崎教会

 

礼拝堂

 

 神ノ島教会堂に向かう。
 神ノ島は、1960年代に海面埋め立てで九州本土と繋がるまでは、直径1kmほどの離島で、禁教時代にキリシタンが潜伏した島だったらしい。(ビックリ)
 禁教令が解かれた後の1876年にブレル神父により仮の聖堂が建ち、 1881年にラゲ神父によって木造の聖堂が建てられた。その後1897年に、デュラン神父が私財を投じて現在の煉瓦造りの教会堂を建てた歴史がある。

 

神ノ島教会堂は長崎湾を見下ろす高台に建っている。

 

神ノ島教会堂

 

礼拝堂

 

 教会下の小さな岬に建っている「岬の聖母像」が航海する船の安全を見守っている。

 

岬の聖母像。左後ろには神ノ島教会堂が見える。

 

 充実した1日だった。
 ド・ロ神父のことがよくわかり、遠藤周作文学館においてあった「ド・ロ神父と出津の女性たち」の本を手に取りたくなった。
 出津はこれでお終い。

平戸

 長崎県2日目は平戸のキリシタン関連遺産を訪ねた。長崎市から車で1:50ぐらいで平戸。

2021年4月2日 ルート図

 長崎は片道3車線道路もあって、運転が難しい。でも高速を利用して何とか田平天主堂に。
 この教会は事前予約が必要で、今はコロナの関係で礼拝堂には入れなかった。

 

田平天主堂

 

田平天主堂にあるルルド。

 

平戸口教会堂は白亜の建物。

 

平戸口教会堂の礼拝堂

 

 宝亀教会堂へ。1898年マタラ宣教師のもと、五島列島宇久島出身の・柄本庄市によって建てられた。

 

宝亀教会堂

 

礼拝堂

 

教会敷地からは港が見える。

 

次は紐差教会。1929年鉄川与助によって高台に建てられた。

 

教会敷地にはファティマの聖母がいた。

 

さらに南下して木ヶ津教会。古い木造教会がひっそりと建っていた。

 

 木ヶ津から北西の春日集落を目指す。
 春日集落は、潜伏キリシタンが仏教や神道と合同した独自の宗教形態を造って、それを信仰し生活していたところ。そのようなキリシタンの形態をカクレキリシタンと呼ぶ。
 春日集落を見下ろす丸尾山はキリシタン墓地遺跡がある。丸尾山まで歩いてみた。

 

丸尾山

 

丸尾山の祠。キリシタンの墓地遺構。

 

春日集落の棚田が美しい。

 

 潜伏キリシタンとカクレキリシタンの違いをもっと知りたくて、博物館島の館まで車を走らせる。島の館は生月島にある。生月大橋を渡って島の館。

 

島の館の前には大きなイルカ。

 

 島の館で学芸員に聞いた話。
 バテレン追放令で神父を失った信徒たちは、迫害の中で自分たちで信仰を守っていかなければならないという思いが強く、前任の神父の言いつけを頑なに守っていた。そのため彼らはカトリックの教えをそのままに守って迫害時代を生き抜き、明治以後日本に再び来たカトリック教会へと戻っていった。
 このような集団を潜伏キリシタンという。
 それに対して、神父もともに潜伏し続けていたキリシタンたちは、神父が迫害下でも生き延びられるようにと教理の方を少しずつ寛容に修正していった。そのため教理の中に周囲で行われていた仏教や神道の習俗が混交し、本来のカトリックとは違った土着の信仰様式を見せるようになっていった。
 彼らは、明治以後再びカトリック教会が日本に許された後も、自分たちの信仰形態を守り、既成のカトリック教会には交わろうとはせず今日に至るまで独自の信仰様式を守っている。
 彼らを総称してカクレキリシタンと呼ぶ。

 島の館の次に山田教会。ここでは十字架の道行きの礼拝が行われており、中に入れなかった。教会の外から十字架の道行きの思いを馳せた。

 

山田教会

 

山田教会のすぐそばには菜の花が一面に咲いていた。

 

 フランシスコ・ザビエルがやってきて、キリスト教を伝えたときに布教を許した代官の一族の一人である西玄可の洗礼名がガスパル。ガスパル様は禁教令が出ても自分の信仰を守り通して領民をまもり処刑された。

 

黒瀬の辻殉教地。十字架が建っている。

 

ここからは中江ノ島がよく見えた。

 

 中江ノ島は、平戸の信者にとって岩から染み出す水を採取し、盛衰とする「お水取り」を行う大切な場所となっている。しかし今では「お水取り」はすたれてしまった。

 

今日の最後は、平戸ザビエル記念教会堂へ。

 

 平戸ザビエル記念教会堂は、フランシスコ・ザビエルの3度の平戸訪問を記念して1931年に建てられた教会。

 

教会敷地内にあるフランシスコ・ザビエル像。

 

これで平戸はお終い。平戸から佐世保へ。
佐世保の夜がきれいに見えた。

長崎

 朝8:15のフライトで長崎へ。今回の旅もキリシタン殉教の地を求めてが目的である。

 

2021年4月1日 ルート図

 

 飛行時間2時間であっという間に長崎空港。
 レンタカーでまずは茂木港へ向かった。あらかじめ調べておいた茂木のおいしい食事処に行くためだ。茂木港で上がった魚のコチを活造りで食べた。

 

コチの活造り

 

 身がしっかりしていて甘くおいしい。ここまで来た甲斐があったというもの。
 茂木から長崎市内へ。まずは日本二十六聖人殉教地を訪ねた。西坂公園にあるレリーフは祈りが込められていて胸に迫るものがあった。1597年2月5日、西坂の丘で神を讃え、その福音の教えの心理を証明しながら、十字架上に聖なる最期を遂げた二十六聖人。

 

二十六聖人の記念碑

 

 12歳で殉教した聖ルドビコ茨木は、役人から「キリシタンをやめれば許してやる。」といわれたのに対し、「神のもとでの永遠の命に比べたら、ぼくの短い命なんて惜しくない。」という答えを堂々と返し、小さな十字架を見つけて「僕の十字架、ぼくの十字架」と喜んで、その十字架を抱きしめ磔となって死んでいった。死んで行くとき、彼は澄んだ声で「パライソ、パライソ、ジェズス、マリア」と叫び続けたという。

 

右から2番目の小さい像が聖ルドビコ茨木

 

 レリーフの隣にある聖フィリッポ教会。二十六聖人が実際に殉教した場所に建てられている。

 

 二つの塔は、高さ16m。左の塔は祈りと賛美の塔、右の塔はお恵みが下がってくる塔で、聖霊のたまものを象徴している。

 

聖フィリッポ教会の礼拝堂

 

祭壇

 

 祭壇の台座。26の十字架が囲むアルファとオメガ。「永遠の神」を示している。26の十字架は、神を礼拝し、賛美し、感謝をささげている。

 

中町教会へ。聖トマス西と15殉教者に捧げられた教会。

 

礼拝堂。
聖トマス西と15殉教者は、ドミニコ会司祭、修道士、修道女、彼らを助けた信徒たちで、キリシタン迫害の1633年~37年に、長崎で殉教した人々。

 

サント・ドミンゴ教会跡。

 

聖コルベ神父記念館

 

大浦天主堂

 

 大浦天主堂は、19世紀の日本の開国に伴って長崎にできた居留地の外国人のために、1864年にフランス人宣教師が建てた教会堂。そして16世紀に長崎で殉教した日本二十六聖人の殉教地の方向に向けて建てられている。
 献堂直後の1865年、長崎近郊の潜伏キリシタンが、ひそかに大浦天主堂を訪れて宣教師に自分たちの信仰を告白した。「信徒発見」と呼ばれ、礼拝堂内のマリア像の下での出来事であった。

 

信徒発見レリーフ

 

旧羅典神学校。1875年に日本人神父養成のために建てられた。

 

旧長崎大司教館。宣教師の居住のための初代司祭館。

 

グラバー園の入り口

 

日本西洋料理発祥の地であり、日本西洋料理の開拓者草野大吉の像があった。

 

グラバー園からは、長崎港が見える。

 

グラバー園にある旧長崎地方裁判所長官舎。

 

大浦教会は、コロナのために入れなかった。

羽田空港

 羽田空港は、今年1月以来だ。前回よりも人が多い。多い人の中の1名が自分でもあるんだけれど・・・ね、
 やっぱり空港はワクワクする。飛行機を見ているだけで、もう旅が始まっている高揚感で一杯になる。前回の旅に引き続き、再びキリシタンを訪ねる旅を少し。長崎と平戸を中心に回る予定。コロナ禍で中に入れない教会が多かった五島列島。今回はどうだろうか・・・。

夜の羽田空港

兜岩(奥秩父)東尾根ノ頭

 ずっと通い続けている奥秩父の山々。川上村の川端下からは朝日岳からの北尾根上に気になる岩稜がみえる。妙義の長須ノ頭に似た形をした岩だ。遠くからでもはっきりと分かるから、相当大きいんだと思う。地図で調べたらその岩は兜岩となっていた。その北には三角点が設置されていて点名は西股。西股と兜岩のピークに立ちたいと思いどのルートをとるか作戦を練った。雨降山に登るときに途中まで車で入った川上牧丘林道から旧朝日岳登山道(廃道)を利用し途中から尾根に取り付く・・がいいか。
 車は雨降山の取り付き地点までだった。そこから先は凍結していて無理。
 林道を20分ぐらい歩いて旧朝日岳登山道に入った。足首までの雪が少し続き大雉沢を渡渉してすぐに尾根に取り付いた。急登である。
 しばらくするとシャクネゲの激藪。シャクナゲと格闘しながら登って行くと、急に岩のテラスに飛び出した。今までの藪漕ぎにぐったり。暖かい日だまりでもあったのでしばし休憩。ここに来た人はいないだろう・・・と嬉しくなる。まだまだ先があるが、ここでいつもの儀式。
 ここで地図を確認。このまま登って行くと岩稜帯にぶち当たるが、南側は岩が切れ落ちていて無理。北側はトラバースすると沢に入り込む。ならばこのまま兜岩を目指して登って行こう。
 再び藪に突入。そして地図通り(?)岩稜にぶち当たった。その岩を乗り上げた。わ~い!目の前にはどう工夫しても登れそうにない露岩のかたまりが。その山頂には、兜岩を象徴する岩・岩・岩。素晴らしい眺望だ。兜岩とその南の2218mピーク。
 この岩壁を登ることはできるんだろうか・・・。私には無理。おそらく人間が立ち入ってはならない領域なんだろう。それを見ることができただけでも感動。ここからの兜岩や2218mピークをまじかに見た人はいないだろうな。いつもの儀式をして、兜岩を眺めながらビールタイム。
 手ごわい兜岩。今度はどこから攻めようか!待ってらっしゃい。

 

2021年3月27日 ルート図

 

屋根岩。南川金一氏に「屋根岩は登りましたか?」と。

 

目指す兜岩とその奥には朝日岳。長須ノ頭の形をしている。

 

歩きだし、川上牧丘林道から見えた兜岩。

 

大雉沢を渡渉。水量は少ない。

 

尾根に取り付き、このシャクナゲの激藪を突き抜けていく。

 

突然飛び出した岩のテラス。激藪から解放された気持ちのいい場所。

 

このテラスの南側は岩稜で切れ落ちている。

 

国師ヶ岳。朝日岳は岩稜の陰になって見えない。

 

ここに来た人はいないだろう。いつもの儀式。

 

再び藪に突入。地図上の岩にぶち当たり登りあげたら素晴らしい眺望。兜岩東尾根の頭に立つ。

 

兜岩が正面にで~んと座していた。

 

兜岩の基部につながる露岩。

 

いつもの儀式。

 

右奥は2218mピーク。

 

兜岩

 

兜岩東尾根の頭からの眺望。

 

長峰を登った時のことを思い出す。長峰が奥秩父に取り付かれるきっかけだった。

峰雄山西稜と点名すみ岩

 1週間前に立岩湖から峰雄山を目指したが、凍結した岩稜に阻まれて撤退。悔しい気持ちとどうしても岩稜帯がどうなっているか確認したくて、今度は峰雄山東峰から前回引き返したところまで行ってみようと早朝出発。栗生坂の開通記念碑がたっているところをスタート場所とした。
 約1時間で峰雄山山頂に到着。
 本番はこれからだ。
 前回立岩をクライミングした際に、立岩から見えた峰雄山には3つのピークがあった。そのピークの一番右が峰雄山の山頂。今、その一つ目である右のピークの峰雄さん山頂に立ったのだ。地図で何度も確認する。次のピークは小ピーク。そして3つ目のピークの先から岩稜が続くのだ。その先で前回は引き返している。
 さあ~覚悟を持って進みましょ!
 2つ目の小ピークを通り過ぎて3つ目のピークへ到着したら、なんと祠が設置されていた。個人的にこのピークを祠ピークと命名。いつもの儀式をして先に。
 いよいよである。やがて現れた岩稜群。どうやって攻略するか?かなりの高度感がある露岩の上を慎重に進んで行くが、先が切れ落ちていて進めない個所が現れた。大丈夫。今日は50mロープを持参。ハーネスも装着してきた。懸垂下降で下のテラスに降りた。そこから2メートルほどトラバースをして、また岩に乗り上げる。
 先に続く岩稜帯はどこまで・・・?行くしかない。セルフビレイのしようがないので自分を信じて進むしかない。緊張を強いられながらガンガン進んで行くと見覚えのあるところが現れた。ここだわ!前回引き返したところまで来たのだ。やった~。
 天気に恵まれ、1週間前の凍結した岩は乾いていて思ったより簡単(?)に歩き通すことができた。下山路は前回と同じではつまらないので、北斜面を駆け下りた。林道に出たら、フクジュソウの大群が出迎えてくれた。
 まだ時間があるので、栗生坂から西尾根をたどり、点名・すみ岩まで歩いた。あ~満足な1日。

 

2021年3月21日 ルート図

 

栗生坂登り口地点

 

気持ちよく東尾根を登って行く。

 

峰雄山頂上直下。

 

峰雄山(1631.3m)山頂。点名・三河。

 

峰雄山山頂からは御座山とツバクラ山が。

 

ここまで約1時間。いつもの儀式をして先に進む。

 

遠くに見えてきた祠ピーク。

 

間もなく祠ピークに。

 

祠ピークに到着。ここまでは簡単であった。

 

いつもの儀式。

 

祠ピークからが核心部。地図でも岩稜地帯のマーク。前回のリベンジなるか?

 

露岩の連続。

 

行き詰まり懸垂下降でテラスに降りた。2mほどのトラバースでまた岩に乗り上げた。

 

リベンジ成功。前回引き返したところまで到達。天狗山が呼んでいる。

 

今回は北斜面を下った。そしたらフクジュソウの群落。

 

フクジュソウ。

 

今日の目的は達成したが、時間はまだまだある。ならば栗生坂から西尾根を登り、行けるところまで。最初の三角点は1444.0m。点名・栗生坂。ほんの10分。

 

地図にも載っている鉄塔の間から見えた天狗山と馬越峠からの馬越峠からの点名・馬越峠のピーク。

 

男山

 

気持ちよく尾根を進んで行く。

 

1624.5mの三角点。点名・すみ岩。

 

いつもの儀式をして戻ることに。

 

途中、木々の間から見えた峰雄山。歩いたピークがすべて見えて満足。

立岩(南相木村)クライミング

 久々のクライミング。といっても午前中の峰雄山に到達できなかった不完全燃焼感を、この立岩クライミングで解消しようと思った。標高差は60m。立岩を北側から見ると圧倒される。しっかりとハーネスやロープは車に積んでいたから、登るしかない!どこから取り付こうか?
 リードで2ピッチ。出だしは多少緊張するが、2ピッチ目はフリーでいいぐらい。立岩のピークには祠が静かに鎮座していた。ピークもいくつかの岩に分かれている。一つ一つのピークの上に立っての眺望も素晴らしい。行きつけなかった峰雄山は、私に向かって笑っている。白くなった御陵山は私を呼んでいる。
 あ~無駄なことはないんだ。次は!必ず。

 

高さ60mの立岩。

 

リードでスタート。

 

立岩山頂。祠があった。

 

立岩ピークに立つ。

 

いつもの儀式。

 

立岩ピークからの眺望。悔しさが・・・!峰雄山は笑っている。

 

御陵山からは呼ばれている。

 

懸垂下降で下る。

 

2ピッチ目。

 

この壁を登った。満足満足。

峰雄山岩稜遊び

 川上村の大原平ノ頭~長峰までの稜線を歩いたときに、眼下に見下ろした山が気になった峰雄山。1631.3mだから目立たたない。
 峰雄山の三角点は「三河」。点の記を読むと、栗生坂峠から取り付いている。ならば他のルートで行ってみようかと地図を見ると、峰雄山の北西に伸びる稜線上に三角点が2か所あり立岩につながっている。立岩から峰雄山を目指すのも面白いだろうと、このルートでチャレンジしてみることにした。
 立岩湖に車を置いてスタート。尾根の末端に取り付く。ここは点名・立岩湖を設置した際にスタートしている場所である。点の記に記録されているように栗生集落につながる道の一軒家のところが取り付く場所だ。
 ふむふむ。その一軒家はまだ残っていた。気持ちのいい尾根を登ると、やがてその三角点が設置されているだろう岩が見えてきた。これか!高さ1メートうぐらいの岩に「点名・立岩湖」が設置されていた。前もって調べておいてよかった。そうでないと知らないで通り過ぎてしまっただろう。
 石川の山友は、今、三角点探しに凝っているようだが、私も刺激されて、三角点を確認するようになった。同時に点の記を読んでおくととても参考になるし、そこまでのルートどりにも参考になる。
 結構奇岩が点在していて面白いルートである。二つ目の三角点(1289.8m)にも簡単に到着してしまった。点名は松茸山。秋は止め山になるのだろう。もう一帯がアカマツだらけ。
 今日はハイキング気分?ちょっと緊張する大岩もあるが、楽しく乗り越えて進んで行く。1394mピークからは、雲の中から八ヶ岳が少し見えた。変化があって面白いルートだ。
 やがて大きな岩壁が立ちはだかった。どうやって越えていこうか?岩の弱点を見つけながらいくつかの大岩を乗り越えていく。そして・・・。地図上にもゲジゲジマークが二重に並んでいるとことに来た。1400mの一つ目はクリア。その先1440mの岩が大きな壁となってしまった。二つ目をクリアしたとしても、その先の岩稜がどうなっているか分からない。しかも、この二つ目の大壁は凍り付いていた。
 しばらく迷ったが、ここで引き返すことにした。悔しいなあ~。同じルートを戻るのもつまらないので、1394mピークの手前鞍部から一気に南斜面を駆け下りた。
 スタートしてからのルンルン気分は吹っ飛び、不完全燃焼感が残ってしまった。悔しいから、次回は栗生峠から峰雄山を経由して引き返したところまで歩きたいと思う。50mのロープを持参してね。

 

2021年3月14日 ルート図

 

スタートしてから約1時間で点名・立岩湖に到着。

 

三角点は、この岩の上に設置してあった。点の記を確認しておいてよかった。

 

このような尾根をガンガン歩いていく。

 

見えてきた峰雄山。

 

こんな大岩を乗り越えていく。これが楽しいんだなあ~。

 

南には、木々の間から天狗山。

 

点名・松茸山

 

またまた大岩が出てきた。ここは標高点1394m。

 

標高点1394mからの眺望。八ヶ岳が雲の中から顔を出している。

 

更に近くなった峰雄山。と思ったら峰雄山の前衛峰。

 

御座山は昨日の雪で白くなっていた。左のピークはツバクラ山。

 

1440mの岩壁。岩から染み出た水が凍りついていて取り付けない。ここで引き返すことに・・・。

 

1394mピーク手前の鞍部から一気に南斜面を下ったら、こんなに気持ちいい林道に出た。

 

車道を歩いて立岩湖まで。これでお終い。