ヨハネスブルグ

 2025年12月26日 ヨハネスブルグ

 ヨハネスブルグでの一夜が明け、ゆっくりとヨハネスブルグ時間が始まった。トランスファーのために利用する人が多いホテルだと思うが、非常に格式が高くそれでいてフレンドリーなホテルだ。

 ホテルに留まっているつもりだったから、結構いい部屋を予約しておいたが、料金は大変リーズナブルで、多分同じレベルの日本のホテル代の3分の1ぐらいだと思う。

 プールもあり、ラウンジもあり、パティオでは食事もできるようになっている。とはいってもやっぱり1日ホテルに閉じこもっているのが勿体なくなって、プライベートガイドを頼んでヨハネスブルグ市内を回ってみることにした。

 ヨハネスブルグの空港は、O・R・タンボ空港という。O・R・タンボとは、オリバー・レジナルド・タンボの名にちなむもの。彼は、ネルソン・マンデラとは違う政党の党首で、マンデラとともにアパルトヘイトに抵抗して戦った人である。ネルソン・マンデラが大統領になる1年前に亡くなった。空港前には、彼を記念して巨象が設置されている。

 ヨハネスブルグには、南アフリカ共和国の人口の20%が居住していて、工学・経済の中心地である。しかし現在若者の88%が無職であり、そのために犯罪が多い都市になっている。

 通常ダウンタウンは、街の中心地で賑わうところだが、ヨハネスブルグのダウンタウンはマフィアの巣窟になってしまっていて、一般人は近づけない地域だ。政府も手を付けられない地域でもあるのだが、政府の公的機関があり、また国立大学もあるというところで、自分には、話だけではなかなか想像がつかなかった。

車中から見たダウンタウン。高層ビルが建っているが現在はほとんど使われていないそうだ。

 Sowet(ソウェート)に行って初めてヨハネスブルに来たことになるとガイドのTKさんは説明してくれた。

 ソウェートは、アパルトヘイト時代は黒人居住地区だった。ネルソン・マンデラが大統領に就任してソウェート地域を改革していった。それまでは、電気も水道もない小さな家に住んでいた黒人に、広くて快適な家を供給するビックハウス・プロジェクトを実施した。

 この地域は、自治が進んでいて地域全体が家族のように助け合っているのでポリスがいない。

ソウェートに行く途中にG20が開催された建物があった。

サッカースタジアム。国内には2つのサッカーチームがある。オランド・パイレーツとカイザ・チーフスだ。このスタジアムはカイザ・チーフスのホームグラウンドとなっている。

今は廃山になっている金鉱山。ゴールドラッシュで金を掘りつくし、そのまま放置されている。

道路端にブブゼラが立っていた。ブブゼラは2010年にここでサッカーのワールドカップがあった時に、盛んに吹かれて世界中で有名になったものだ。ブーブー音がする。

 ソウェート地域に入った。

 1994年ごろから平和になっていった地区。昔から住んでいる居住者には政府から家を与えられて居住を続け、治安の悪いヨハネスブルグの市街地を離れてここに居を移す裕福な白人も増えた。ここは元々黒人の居住区だった。

裕福な人たちの家並み。

 昔の火力発電所で、今は二つの塔の間に梯子がかかっており、バンジージャンプの遊び場となっている。発電所は45年前に閉鎖された。ソウェートの中のオランド地区にある。

 南アフリカ共和国の電気の熱源について聞いてみた。

 原子力発電所は国内に2か所あり、太陽光発電も行っているが、石炭による火力発電が中心となっている。火力発電をやめると炭鉱で働く人たちの職がなくなってしまうからだそうだ。

火力発電所を利用したバンジージャンプの遊び場。

 発電所があったから、そのすぐそばに送電線設備があった。今でも使われているが、発電所は別のところにある。

 当時は、ここで発電された電気も全て送電されて、この地域では電気が通っていなかったそうだ。

送電線が続いている。

 通称で呼ばれているシャークという地域に来た。ヨハネスブルグで一番貧しい地域。

 ソウェートには3つの階級がある。一つは移り住んできた金持ちの集団、二つ目はマンデラ大統領から家を供給された中級クラス、もう一つはシャークと呼ばれている最下層の人たちだ。

シャークと呼ばれる最下層地域。

ビラカジ・ストリートの入り口。このストリートには、ツツ大主教の自宅だった建物と、マンデラ大統領の個人宅がある。

ビラカジ・ストリート 。なんとなく平和な感じがする。

 ノーベル平和賞を受賞したツツ大主教の自宅。1975年から2021年12月26日に90歳で亡くなるまで住んでいた家。

 今日は12月26日だ。命日にここに来たことがすごい不思議。

 ツツ大主教は南アフリカ聖公会の大主教で、マンデラ大統領と一緒にアパルトヘイトに抵抗して戦った人だ。マンデラ大統領は政治的立場の支柱であり、ツツ大主教は霊的な支柱となった。

ツツ大主教の家。

マンデラハウス。マンデラ大統領は1946年から1992年までここに居住した。1994年に大統領に就任している。

 当時のアパルトヘイトの政府が、民族の言語を使う黒人を排除したかった。そのためこの地区の小学校の使用言語をオランダ語だけに限定し、試験もオランダ語だけで出題したため、多くの生徒が試験に失格して対校させられることとなった。それに抵抗するために15,000人が静かで平和的なデモを行ったが、それに対して警官隊が発砲し、756人が虐殺された。1976年6月16日のことである。

 この事件が、多くの人がアパルトヘイトに立ち向かうきっかけとなった。リーダーがマンデラ大統領とツツ大主教。国連もユネスコも南アフリカ政府に対して、アパルトヘイトは不当であるとの見解を明らかにし、結果として南アフリカ政府は世界中を敵に回すこととなり、ついにアパルトヘイトを放棄せざるを得なくなった。

 大虐殺があった6月16日は若者の日となっている。

この石塀の向こうに虐殺された人たちとマンデラ大統領が眠っている。

 心にしみる話を聞いて、車中からだったけれどその空気に触れ、南アフリカの悲しい歴史に少し触れることができた。そうした歴史に自分が今後どう向き合っていけばよいのか・・・。

二つ目のサッカーチームであるオランドスタジアム。

これはバス停。バス路線がしっかりしていて、ダウンタウンとソウェートを結んでいるとのこと。バス路線には赤線が引かれているから分かりやすい。

バス停

再びダウンタウンの近くを走る。高層ビルが立ち並んでいるが、ほとんどは廃墟となっている。

いいよダウンタウンの中に入った。緊張だ。

 ダウンタウンの中にある裁判所。

 ここは機能していて、裁判官は周辺から通ってきている。途中でシャトルバスに乗り換えて裁判所に来るが、シャトルバスはほとんど襲われないとのこと。

 政府の公共機関に働く人たちもシャトルバスを利用する。

裁判所

ダウンタウンの廃墟となったビル群。

ここは機能している救急車待機所。

ダウンタウンには大学もあり、学生寮が備わっている。勉強しずらい環境じゃないのかな。危ない地域なので、大学も移転する計画もあるとか。

ダウンタウンにある39階建てのアパート。

ダウンタウンを抜けてヨハネスブルグ郊外の居住地区に来た。ここには、企業家、教職、法律家、ドクター等高給取りが住んでいる地域だとか。

サントワンという地域で、ホテル街、オフィス街、銀行街、アメリカ領事館等がある地域であり、経済中心地であり一等地。

アメリカ領事館

レオナルドビルディング。55階建てでアフリカで一番高いビル。

 約3時間のヨハネスブルグ探索であった。一番は南アフリカ共和国の歴史を目の当たりにして、まだまだ続く負の歴史に衝撃を受けた。法律上は人種差別はなくなっているが、現実社会においてどうだろうか。そして貧富の差があまりにも大きいことも知った。

 政治家や警察はダウンタウンで生活をしている人たちと癒着していることも聞いた。だから政府も警察も手を出さないのだ。この国を変えていくには、マンデリン大統領やツツ大主教のような政治的・宗教的指導者なのだろう。

 いろんなことを考えさせられた1日だった。