久々の大分時間。2年ぶりだ。明日2月1日は別大マラソン大会。前日1月30日の夜大分入りして、今日はのんびりと大分の街を歩き回った。
スタートは大分駅。

デウス堂跡。府内教会のこと。

説明板があった。
説明板によると、天文20年(1551)、大友宗麟氏の招きによって豊後府内を訪れたイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルは大友宗麟氏の許可を得てキリスト教の布教活動を始めた。天文22年(1553)には府内教会(デウス堂)が建てられ、毎日ミサとともに少年合唱隊がオルガンやビオラに合わせて聖歌を歌ったり、宗教劇が演じられた。
こうした大友宗麟氏の手厚い保護もあり、豊後府内を中心にキリスト教は急速に広がりをみせ、弘治3年(1557)には2,000人のキリシタンが、天正8年(1580)頃には豊後の信者は約1万人を数えたといわれているとのこと。

大友宗麟氏5代貞親氏が博多の承天寺の僧を開山に請じて諸堂を建立したが、島津氏の兵火に焼かれ、一時廃寺となっていた。府内城主竹中重義の援助を受けて現在地に再興したという万寿寺。
万寿寺の山門。

山門を抜けて本堂へ。臨済宗妙心寺派の寺院で、本尊は釈迦三尊像。

境内に咲いていた。

次にすぐ近くの来迎寺に。山門は嘉永7年(1854)に再建されている。その「姿・形」さらに「建築部材」など当時の来迎寺を支えた豊かさの象徴。
来迎寺の山門。




鐘楼。梵鐘は文化10年(1813)に鋳造され、第二次世界大戦の中、「供出」という災禍に遭遇し佐世保の西蓮寺に納まっていた。返還交渉を重ね、昭和53年に無事帰ってきたとのことだが、多くの人の寄進があったのではないかと・・・。
鐘楼

遊歩公園へ向かったら、滝廉太郎の終焉の地があった。大分とは知らなかったわ。

遊歩公園は、昭和26年大分市の戦後復興計画の一環として整備された。

西洋医術発祥記念像(古賀忠雄 作)


健ちゃん(北村西望 作)。甥っ子と同じ名前なので・・・。

伊東ドン・マンショ像(北村西望 作)


遊歩公園には350mに渡って彫刻が設置されていた。

遊歩公園の北側には府内城跡がある。
西之丸各櫓と石垣。


天守台。この上に登ってみた。天守閣があったんだろう。今この府内城は復興工事を行っている。

人質櫓。

廊下橋の近くに咲いていた。

廊下橋。


廊下橋から内堀を渡りきると松栄神社があった。


松栄神社の境内から見える人質櫓と天守台。水に浮かぶように造られた安土・桃山時代の城。1587年(慶長2年)に福原直孝が築城している。
人質櫓と天守台

府内城跡を出て近くの福寿院に寄ってみた。九州八十八ケ所百八霊場の一つとなっていた。
福寿院

大分駅に戻る途中、商店街アーケードがあった。土曜日の午後なのに人通りが少ない。


大分の街歩きは、これまで!結構楽しかったわ。歩いた距離は10.78キロでした。


