キエフNO2

2018年12月25日

 キエフでの初めての夜はぐっすりだった。
 朝には昨夜の雪も止んでいた。しかし太陽の日が差すことはない。新潟みたいな天気だ。
 外に出ると、体感温度は-10ぐらい?ほほが差すように冷たい。冬の寒さに慣れているとはいっても、1日中歩き続けると体は冷え切ってしまうかも・・・。
 完全防寒でホテルを飛び出した。

 

 ホテルから歩いて5~6分。人通りの少ない雪道を歩いていたら黄色い聖堂が見えだした。ウラジーミル聖堂だ。

 

 1882年に完成したキエフでは比較的新しい教会とのこと。ビザンチン建築に心ときめく。そして人が少ないのが気に入った。正面の入り口から入ってみた。

 

 ウクライナ正教の教会で、丁度礼拝をやっていた。

 

しばし祈りの時を過ごす・・・。

 

 国立キエフ大学はこの教会の近く。ウクライナで2番目に開校したという大学で、ウクライナ民族運動の拠りどころとなっている。

 

 建物全体が赤く塗られているのは、ロシア皇帝が徴兵拒否運動を起こした学生たちへの罰として、血の色で塗りつぶす命令の名残という。これは強烈だった。

 

 ここから北上して黄金の門に向かう。昨日は通り過ぎただけだったから、今日は中へ入る。11世紀前半にキエフ市街を取り囲む城壁が築かれ、この門が町への公式な入口とされた。

 内部には、最初の門の廃墟が保存されていた。

 

 黄金の門の正面の道を進んでいくと出現する「霧のハリネズミ像」。みんなの人気者で、入れ替わり子供たちが見に来ていた。

 

 さらに北上するとソフィア大聖堂。現存するキエフ最古の教会で、ソフィースカ広場の前に立っている。
 ソフィア大聖堂の鐘楼で門にもなっている。ここを抜けて教会内の敷地に入ることができるのだ。

 

 ソフィア大聖堂は1037年にヤロスラフ賢公により創建されている。

 

 ソフィア大聖堂前のソフィースカ広場はクリスマスムード。たくさんの屋台が出ている。肉を焼いている屋台が私には珍しかった。

 

 お好みのものを買い求め、多くの人たちがおいしそうに頬張っている姿は幸せそうだ。

 

 クリスマスを楽しむ大勢の人たちをかき分けて聖ミハイルの黄金ドーム修道院へ向かう。

 修道院前のムィハイリフリスカ広場にあるオリガ公妃の像。ウラジーミル聖公の祖母であり、キリスト教に改宗し聖人となった。

 

 門にもなっている鐘楼。

 

 ドームが黄金色に輝く聖ミハイル聖堂。

 

 聖堂の中はきらびやかだ。

 

 たくさんのローソクが灯され、大勢の信者が祈っている。

 

 鐘楼に登ってみた。

 

 鐘楼からは遠くにソフィア大聖堂の鐘楼がよく見えた。

 

 そして聖ミハイル聖堂がすぐそこに。

 

 聖ミハイルの黄金ドーム修道院の真北にあるアンドレイ教会。残念なことに改修中のため中に入ることができなかった。
 1000年前にキエフで最初にキリスト教を布教し、ここに十字架を建てた聖人アンドレイにちなんで名がつけられたそうだ。

 

 教会の塔からみたキエフの街東方面。ドニエブル川とバルコヴィ橋が見える。

 2日目のキエフを過ごしてみて感じたのは、とても不思議な町ということ。
 物静かな親切な人がいていいな!と思ったり、今朝は道を歩いていて突然声をかけられてビックリ。
 「お金がないので恵んでほしい・・・。」と英語で話しかけられた。
 「日本語しか話せないから、何を言われているかわからない。」ととぼけ通した。その人はあきらめて先に歩いて行ったが、ほかの人に声をかけることはなかった。かなりお人よしに見えたのか・・・な。
 
 ソフィースカ広場では、着ぐるみを着た人物が何人かいて、強引に写真に入り混んでいる姿が目に付いた。多分法外な料金を請求しているのだろう。日本のような気分でいると痛い目に合うことになる。

 さあ~明日はどんな出来事に遭遇するか?