中通島第2日目

2012年12月29日 中通島めぐり

 今日は、中通島の南半分と若松島から有福島と日島まで足を延ばす予定。途中キリシタン洞窟を船で訪ねることの計画もした。

 中通島は、五島列島の中で一番教会が多い。その数は29。島の形も十字架の形をしている。教会をいくつ訪問することができるか・・・。少し忙しいが、全教会を回る計画になっていて、今日は約半分。あさ8:00にホテルを飛び出した。

大曾教会。小字浦泊に五島に逃れ信仰を守り続けた信徒たちが信仰のあかしとして建てた教会。

礼拝堂内。3廊式で天井は蝙蝠式。大変落ちつく空間。

大曾教会が見下ろす海。

猪ノ浦教会。ここで信徒のエミコさんに出会った。エミコさんは隠れキリシタンから嫁いでカトリック信者になったという。真手ノ浦教会が管理教会で、そこから神父様がいらして、土曜日に主日礼拝を捧げているとのことだった。

 次に焼崎教会にむかう。しかし途中に連絡が入り、キリシタン洞窟の船の時間を早めてほしいとのこと。途中で、待ち合わせの霧教会に向かうことにした。

 焼先教会は行くのにちょっと困難な場所だけに心残りだった。

 待ち合わせ場所の途中に中ノ浦教会があった。小さな入り江に建っている。明治以後、五島崩れと呼ばれる苛烈な迫害を生き延びた信徒たちが、五島で一番美しい聖堂を造ろうという希望のもとに建てた教会堂である。

礼拝堂内。列柱の上部には、五島特有の椿の装飾。

中ノ浦教会の守護者の聖母マリア像。

水鏡に映したように、対岸からの眺めが美しい。

桐教会。若松瀬戸を行きかう船を守るかのように佇んでいる。

若松瀬戸の美しさ。

礼拝堂内。

桐教会の駐車場が待ち合わせ場所。そこへ船長の坂井さんが迎えに来てくれた。桐教会の少し北の深浦から乗船。祥福丸と船長の酒井さん。

船を操縦する船長。貸し切りで、坂井さんからいろんな話を聞いた。

坂井さんは隠れキリシタンの9代目。代々神父の座にあり、お父様はローマ教皇ヨハネパウロ2世が来日されたときに、「君もカトリックに改宗しないか」といわれたが、「自分は先祖たちが激しい迫害に耐えて守ってきた信仰を変えることができない」といって、その申し出を断った。教皇はその言葉に感心して「あなたもまたキリストの肢にある兄弟である」といわれてロザリオを送られた。

船を造って聖別の祈りを捧げていた時に、マリア様のお姿が船に現れた。時として赤く輝くことから、赤マリアと呼ばれている。

断崖にも現れたマリア像。穴の形がマリア像に見える。

船でしか行けない場所の奥にキリシタン洞窟。その入り口に立つキリスト像。

今から140年ほど前に、この洞窟に移り住んだ4家族の隠れキリシタン8人は、4ヶ月後に炊事の煙から発見され、激しい拷問を受けた。

4家族8人が生活した洞窟。

祥福丸。独自の信仰をなんとしても守り続け、そして自分自身の幸せを求めず人のために祈り奉仕する隠れキリシタンの坂井さんのお話は、実感と迫力に満ちていた。

 独自の信仰をなんとしても守り続け、そして自分自身の幸せを求めず人のために祈り奉仕する隠れキリシタンの坂井さんのお話は、実感と迫力に満ちていた。

キリシタン洞窟の訪問が終わって、若松島へ向かう。中通島からは若松大橋を渡っていく。

土井ノ浦教会。ここは大曾教会の建物を買い受けて、その木材で素朴な聖堂を造ったのが始まり。

聖堂内。

有福教会。東シナ海に面し、平天上の素朴な純和風の様式で建てられた聖堂。残念なことに中へ入れなかった。

大平教会。若松島の最も北に位置している。

ここに行くまでの距離の長さと、ところどころに点在する集落が、それぞれの人々の生活とその拠りどころとしての教会の存在を思い起こさせてくれた。

礼拝堂内。

若松島から中通島へ戻った。ここから北上していく。

若松大浦教会。

礼拝堂内。

真手ノ浦教会。道土井湾をのぞむ高台に建っている。あたかも航行する船を見守るような清楚な佇まいとともに、外海地方から移り住んだ先祖たちの信仰の種を守り抜いてきた尊厳をも感じ取ることができる。

礼拝堂内。

跡次教会。偶然に出会ったマリアエミコさんから場所を聞いて、やっと探し当てた。

教会堂のそばに建っている「海の星聖母像」。

礼拝堂内。

 今日一番衝撃を受けたのは、実際に隠れキリシタンとしての信仰を保ち続けている20家族を束ねる坂井さんのお話を伺ったことであった。

 隠れキリシタンでは、神父は家族を持ち、他の信者の洗礼、結婚、葬送などの祈りを受け持ち、特に困っている人たちには無償で献身的に奉仕する。一言一言の言葉に重さと幅と奥行きを感じた。

 現代社会の災いを憂い、神に祈る姿は半端ではない。